冬山山行報告
【奥穂高岳(新穂高〜涸沢西尾根〜奥穂高岳)】
期日 平成22年12月30日〜平成23年1月3日
メンバー 加藤征、木下経大、加藤茂隆
記録
12月29日(水)晴
22:30、竹橋発冬山向け夜行バスで出発、大場さんの差し入れと見送りを受ける、バスは八ヶ岳〜有明〜中の湯を経由し終点の新穂高温泉では5名だけになっていた。
12月30日(木)くもり時々雪
ゴンドラはまだ動いてはいないが朝食後出発、登山道はトレースが良く付いている、西尾根にもトレースがあり!ホッと”する、始めはアイゼンを着けず急登していたが、1800m 付近でアイゼンを着ける、積雪量は思いのほか少なく、ワカンは必要ないようだ!1900m付近で1パーティ、2100m付近で1張りとテント場の準備を始めたようだ、2100m位から雪が急に多くなりザックを置いて空身でラッセルする、明日の天候の不安もあり2200mを過ぎた所をテン場とする。
新穂高温泉(8:10〜30)〜穂高平小屋(9:50〜10:05)〜白出沢出合(11:30)〜2200mテン場(15:50)
12月31日(金)くもり時々雪
停滞、 9:15、関西とトランシーバー交信できる!14:00、関西パーティー到着、休息後2400m以上迄行くとの事、18:15交信で明日の天候、行動について伝達する。
1月1日(土)くもり
5時30分にライトを点けて出発、いきなりの急登が続く、1時間程で関西のテントに着くがまだ食事中の事、私達は遅いので休まず先行する、南稜の分岐でライトを外す、蒲田富士への登りは偵察時より雪が多く付いており登りやすい、F沢のコル迄は明るく天候も良かったがコルからクロワールに向かう頃には天候も悪くなり、後から来ている関西のパーティーの姿も見えなくなった、急な雪壁をアイゼンとピックで登るがくるぶしが痛くなってくるし雪面の凹凸がわからず、次の一歩が平らに見えたり”ハッとする事があったが傾斜があるものとして登る、やがて岩稜まじりの岩稜に抜ける、視界もあまりなく、風も強くなり長い岩稜の登りの途中で関西パーティーが追いつかれ先に行ってもらう、涸沢岳に着くと穂高岳山荘が見えてき、先行パーティーの赤いペナントが見える、冬季小屋は広くトイレも中にあり1パーティ−はテントを張り4名、遅く着いた単独の人と私達7名、久しぶりに関西のメンバーとも歓談出来、快適な夜でした。
テント場(5:30)〜関西テント場(6:30)〜南稜分岐(7:45〜55)〜蒲田富士(9:10)〜涸沢岳(13:00)〜穂高山荘(13:15)

木下、加藤会長 |

木下、加藤(茂) |

木下、加藤(茂)、岩田会長(関西) |
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1月2日(日)快晴のちくもり
5時30分、いったん小屋を出たがあまりにも暗いので一時間程待機、風は強いが視界はあり、エビのシッポの付いた大きな梯子は二ッ共見えるが、大きな廃墟のような、大きな要塞のような姿に映る、その後小さなピークを雪壁をいくつか越えるとそれより高い所はなくなった、強風の中、写真を撮り早々に下山!下りの氷壁に30m位フィクスを張ってくれた、その後急な氷壁は後ろ向きでステップを切り下降、この頃はには朝陽も出て”雲一つない快晴”の空が続いていた。それから小屋にもどり休憩後出発、涸沢岳の登りは途中まで行って視界も良いのでトラバースルートをとる、今日はやっと天気も良くなり登って来るパーティーも多くトレースもしっかりしており早く下降出来た、関西パーティーは車で来ている事もあり今日中に下山するとの事!私達がテントに入り酒盛りの準備をしているときに降りて行った。
穂高岳山荘(6:40)〜奥穂高岳(7:40〜50)〜穂高岳山荘(8:50〜9:30)〜F沢コル(12:00)〜南稜分岐(13:00)〜関西テント場(13:20)〜テント場(13:45)
1月3日(月)くもり
入山した時よりしっかりしたトレースになっており楽に下山、バスの時間も予約より2時間程早めてもらい20時前に新宿に着いた。
テント場(7:40)〜白出沢(9:00〜15)〜穂高平小屋(9:50〜10:00)〜新穂高温泉(10:45〜55)平湯(11:30〜14:30)⇒新宿(19:40)
(記録 加藤征)